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  • LINGUA MANIA ブログ

    「食パン」とは何か?

    2022.01.21

    「食パン」とは何か?

     

    複合語の形成とカテゴリー分析

     

     

    「食パンやメロンパンや菓子パンやあんぱんを….」と並べた時に分類の違和感を感じる人がいるかもしれない。または何も感じない人もいるであろう。ここではカテゴリーの分類に問題がある。

     

     

    そもそも「食パン」とは何か、考えたことがあるであろうか?「食用のパン」であろうか?「食用の〜」の対義語は、「食用ではない〜もの」となる。

     

     

     

    その場合、「食用の花」のように「食用ではないもの」がまずあり、そちらが基準であり、普通とは違って「食べることができる」という意味となる。

     

     

    「食べることのできないパン」などはないから「食パン」を「食用のパン」という意味に分析することに間違いがあることになる。

     

     

    もし食べることのできない「パン」が存在しているなら、国民全体がそれを認識しているほど語彙として浸透している必要がある。

     

     

    たとえば、

    A「ちょっとパンとってよ」

    B「どっちのパンだよ?パンじゃ分からん」

    A「パンはパンでも、あっちの食べられる方のパンだよ」

    という会話が想定される。

     

     

    次に「食パン」の対義語に「菓子パン」を置いてみたらどうであろう。少しの間「食」の意味は保留しておこう。

     

     

    「菓子パン」とは「お菓子として食べるパン」という意味であろう。「食パン」と並べて次の連立方程式を解いてみよう。

     

     

    ◯菓子パン:「お菓子」として食べるパン

    ◯食パン:「 x  」として食べるパン

     

     

    最終的に「食パン」という語の成り立ちを成立させるために「 x      」には「食」という漢字も使いたい。

     

     

    さて、日常生活に目を向けてみよう。私たちが「食べる」のは一日3回の「主食」と、ちょっとつまむ「お菓子」というビジョンが浮かんでくる。

     

     

    食べる>主食とお菓子

     

     

    以上のことから、「 x      」は「主食」であり、「食パン」とは「主食として食べるパン」であることが見えてくる。

     

     

    したがって、「食パン」は「菓子パン」と対立させた概念であり、「菓子パン」の下部カテゴリーに「メロンパン」と「あんぱん」が存在することになる。

     

     

     

    この分析は間違っている可能性もあるが、言葉の語源を正確に知ることは極めて難しい。時代や国やその「言葉」を受け取る人によって「意味」が異なる。誰が解いてもぶれない数学より厄介であり、それゆえに言葉はより面白い。

     

     

     

    人間と他の動物の違いは、言葉による複雑なコミュニケーション能力にあるとされている。

     

     

    これからの時代は、ますます言葉の読解能力が必要となってくるであろう。なぜなら計算や分析などの数学的な事柄はAIが担当し、労働の単純作業はロボットが私たちの肩代わりをすることになるであろうから。

     

     

    学校での数学が必要なくなるという意味ではない。数学は論理的思考を身につけるために行っている数字を使った言語トレーニングでもある。数学は試験のために仕方なくやるなどケチくさいことは言ってはならない。

     

     

    私たち人間の方は、より人間的な事柄が求められる。言葉の効果的な使い方や人の話を忍耐強く聞く能力が必要になる。さらに一人ひとりの人間が一人ひとりのやり方で異なっているということをより繊細に認識していく必要がある。

     

     

    人類全体のことを心配する必要はない。まずは自分、次に身の回りの人に優しくなろう。次には町の人みんなに。

     

     

    ✴︎日吉に「食パン」専門店が出来ました。その名は「ワンハンドレッドベーカリー」です。おいしいです。普通部通り

     

     

     


    android とは何か?

    2022.01.14

    android とは何か?

     

     

    ラテン語や古典ギリシャ語の名詞を覚えるときには、辞書に記載されている主格・単数の他に属格・単数を記憶しなければならない。

     

     

    たとえば「男・人間」を表すギリシャ語の辞書に出ている形はaner であるが、これでは語幹が充分に出ていない。属格・単数はandros であり、これが重要になる。

     

     

    このandros のandr-までが語幹であり、新規の英単語を作る際に必要な部位となる。

     

     

    これにより私たちに馴染みのある英単語android(人造人間, アンドロイド)が形成される。

     

    android =

    [andr(人間)+oid (〜に似た)]

     

     

    *oid は、ギリシャ語起源の英単語造語要素。元の意味は「形」。

    参考) asteroid, steroid など

     

     

    ところで、アンドロイドは現実のものになりつつある。大阪大学の石黒教授は、まず初めに自分の娘をモデルにしたアンドロイドを作り上げた。そこで奇妙な経験をしたと言う。

     

     

    それは娘そっくりのアンドロイドを持ち上げた時に娘の匂いがしたということである。人間の知覚や脳の研究はこれからが本番であろう。

     

     

    石黒教授は自分自身にそっくりのアンドロイドも製作した。ジェミノイドHI-2である。少し離れてみれば誰しも本物の人間と思うだろう。

     

     

    遠隔操作で話すことができ、石黒教授が首をかしげれば、このアンドロイドも首をかしげる。教授は、アンドロイド研究により、人間とは何か?を見極めたいと言う。

     

     

    一方、2021年、中国ではAI検察官が登場してきた。すでに法執行機関においてAI技術は活用されてきているが、さらにAIが次の段階に進んだことになる。

    注)AI:artificial
    intelligence、人工知能

     

     

     

    アンドロイド技術と自立型AIが組み合わされたら、人間とは区別がつかないターミーネーター的なロボットが現実のものになり、実際すでにその辺をうろついているかもしれない。

     

     

    IT化が進み、さらにAI化が加速するにつれ、ますます人間の方はゲームやアニメなどの妄想の世界の住人になってきているかのようである。

    注)IT:information
    technology、情報技術

     

     

    地球は、恐竜が牛耳っていた時代から人間が生物界の王者となった時代を経て、次の段階への移行期にあるかのようである。

     

     

    それは、自立型AI搭載のアンドロイドが街を闊歩して、一方の人間は家に閉じこもり頭に何らかの装置を付けてベッドの上で横になっているだけの世界であり、SFだけの世界に思えていた事柄が現実界に流れ込んできた歯止めの効かないテクノロジーに人類が支配される段階なのかもしれない。

     

     

    私たちの世界は、もうこれに近いところまで来ている。ゲームの世界にのめり込む子供たちを一方的に叱りつけることに意味はない。彼らの半分は現実界に目を閉ざしているので、効果的に語りかける必要がある。解決策は必ずあるものだ。

     

     

    私たちは地球上に存在する単純な力学を忘れがちである。それは、何かを手に入れたのなら失うものが必ず一つあるということ。自然界にはバランスが存在する。

     

     

    あれも手に入れ、これも欲し、さらにもう一つに手を伸ばす貪欲さの結果、便利さと快適さを追求した結果、見栄を張ってきた結果、全て結果ばかりを求めてきた結果が、今私たちの目の前にある世界であり、それは私たちが希求し、手繰り寄せ、作り上げた桃源郷である。

     

     

    ゲームの世界に埋没する子供たちは私たちに何かの忠告を無言で一所懸命に伝えているのかもしれない。

     

     

    それに対して私たちは怒鳴るのではなく、その聞こえぬ叫び声に耳を傾ける努力を怠ることのないようにしよう。解決策を見つけよう。

     

     

    人類がAIアンドロイドの観賞用金魚にならないようにしよう。いつだって抜け道はあるものだ。

     

     

    ところで、アンドロイドは電気羊の夢を見るのだろうか?

     

     


    オミクロン株それともオロナミン株?

    2021.12.10

    オミクロン株それともオロナミン株?

     

     

    2021年12月時点でのパンデミックの主役は「オミクロン株」になった。この名称が覚えにくいという人が多い。

     

     

    「あの新しい変異種なんて名前?」

    「あれ、なんだっけ?オロナミン株?」

    「いやいや、オロナイン株だろ!」

     

     

    コロナの変異種は、全てギリシャ語アルファベットが採用されているので、これを知っている人は間違えないかもしれないけど、一般にはギリシャ語アルファベットは普及していない。

     

     

    今回は「オミクロン」とは何かを考察してみよう。

     

     

    「オミクロン」がどういう意味であるかを知っている人はほとんど皆無であろう。

     

     

    ギリシャ語アルファベットで、「オミクロン」は15番目の文字。

     

     

    「オミクロン」という語は、「オメガ」に対立する言葉である。「オメガ」はギリシャ語アルファベットで最後の24番目の文字。

     

     

    「オミクロン」と「オメガ」の分析に移ろう。言葉の分析の基本は「共通項とそれ以外」に分けることから始まる。

     

     

    「オ・ミクロン」

    「オ・メガ」

     

     

    「オ」は、ラテン語アルファベット(ローマ字)でもおなじみの”o”である。

     

     

    「ミクロン」は、日本語でも「ミクロ」という聞き覚えのある言葉がある。もちろん意味は「小さい」である。

    「o micron 」=「小さいo(オー)」

     

     

    「メガ」も日本語でしばしば耳にする。食事関係で大盛りを意味する時に「メガ盛り」「メガマック」などのように。「大きい」の意味。

     

     

    「o mega 」=「大きいo」

     

     

    というわけで、語の形成さえ理解できれば、「オミクロン」と「オロナミン」を間違えることはなくなるであろう。

     

     


    「&」って何?

    2021.12.02

    「&」って何?

     

     いろいろと複雑な歴史があるけれど単刀直入に言うならば、「&」という記号はラテン語のetを1文字のようにつなげた合字である。

     

     

    ラテン語のet は、英語のandの意味である。これは、日本語としても時に耳にする「エトセトラ」の一部を担っている。ラテン語のet cetera の発音は「エト・ケーテラ」に近い。英語読みにすると「エトセトラ」に近い。

     

     

    英語で書かれている記事を読む機会の多い人は頻繁にetc. という表記を見るであろう。これがet ceteraである。英語に直訳するとand others となるだろうけど、and so on の意味で使われる。

     

     

    etが&なのだから、et ceteraの表記は& ceteraとも表される。

     

     

    ただし、etc. は普通「もの」に対しての表記であり、「人間」を表す場合には et al. が使われる。これは、et alii の短縮形で、意味はand othersで、共著者名の省略に用いられる。

     


    “Goobye”とは何か?また同時に「さよなら」とは何か?

    2021.11.26

    “Goodbye”とは何か?また同時に「さようなら」とは何か?

     

     

     

    私たちは言葉を使えるとよく言うけれど、意味が分かって話しているのではなく、「ただそう言う」慣わしだからその言葉を発していることが多い、特に挨拶など。

     

     

    英語のGoodbyeは、元々はGod be with ye. (神があなたの側にいますように)の短縮形である。

     

     

    この表現は、挨拶の王道であるGood morning. やGood afternoon などの表現群の中に放り込まれ、揉まれ、しわくちゃにされ縮まった形になり、とうとう肝心のGodがgoodになってしまう。

     

     

    God be with you

    God be with ye

    God b ye

    Goodbye

     

     

    しかしながら、このようなことを意識して話している人は存在しないし、その語源を知っている必要もない。人は、「今」を切り盛りしているだけで精一杯である。

     

     

    さて一方、goodbyeに相当する私たちの日本語の表現「さようなら」はどうだろうか?なぜ「さようなら」と言うのか?

     

     

    「さようなら」は、「さよう(左様)ならば」=「そのようであるならば」という接続詞的な表現であった。江戸時代の洒落本の中に「さようなら、ごきげんよう」という表現が見つかるらしい。

     

     

    「それでは、また」が「それじゃ、また」→「じゃあまた」→「じゃあね」になっていくプロセスに似ている。

     

     

     

     

    それでは、次に「こんにちは」と「さようなら」の語源を感じ取ってみよう。諸説あるのでしょうが、私の理解は以下の感じ。

     

     

    ◯想定される会話例

    Aさん:「今日は(こんにちは)、お元気ですか?」

    Bさん:「ありがとうございます。元気です。」

    Aさん:「さようなら(そうならば)、ご機嫌よう(そのまま健康でいてくださいますように)」

     

     

    「こんにちは」と「さようなら」という挨拶は、「こんにちは、〜」と「さようなら、〜」というそれぞれの表現の最初の部分だけがそこで終了した形で生き残ったのであろう。

     

     

     

     

    私たちは、私たちの身の回りの言葉にもう少し関心をもって接した方が時には良いのかもしれない。私たちは日本人だから日本語を知っているなどとはとても言えない。外国語を学習することで、漸く相対的に日本語を見ることが可能になる。