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英語のLとR
「レッドツェッペリン」がRed Zeppelinだと思い込んでいる人がいるかもしれない。正しくはLed Zeppelin ではあるが、このLedとは一体何なのか?
もちろん、このLedは「発光ダイオード」のはずがなく、またleadの過去分詞でもないらしい。どうも、このLedは「鉛」の意味で使っているらしい。本来「鉛」の綴りはleadであるが、これでは「リード」と読む人がいるかもしれない。そういうわけでledという文字に落ち着いたらしい。
ジェフ・ベックの名曲「レッド・ブーツ」も、red bootsではなくled bootsである。これも「鉛」を表す文字遊びなのであろうか?
creamの「ストレンジブルー」はstrange brewであってblueではない。このbrewは「お酒」の意味で使われている。もちろんcreamのベーシスト、ジャックブルースはJack Bruceであって、「ブルース」を演奏してもBluesではない。
Red Hot Chili Peppersのベーシストであるフリーは、いくら奏法が自由奔放だからと言ってもFreeではなく、Flea(「ノミ」の意味)である。日曜日に公園などで開催される「フリーマーケット(蚤の市)」のfleaである。
英語のLとRの音声上の識別は難しい。それは私たちの日本語における「らりるれろ」内に、このLとRの対立関係が存在しないことが一因であろう。
日本語における「らりるれろ」を考えてみよう。先ず何も考えずに声に出して「らりるれろ」と言ってみよう。次に発声の速度は1回目とは変えずに今度は舌の位置に注意して発音してみよう。意識しすぎておかしなことになってしまわない限り、舌がバタバタと暴れている感じしかつかめないであろう。
日本語には他の多くの言語に存在するこのLとRの対立が存在しない。存在しないから区別する手立てがないので、耳で聞いただけではこの2つの音を識別することはできない。意識化したトレーニングをもって漸く少し認識度が上がり、その会話のコンテクストを考慮し、語彙力を強化することで、さらに一ミリ前進できる。
英語のLとRは、大人になってから英語を学習し始めた人にとっては、小さな子供が自然に身に着ける自然さをもってしては習得しえない種類のものである。確かにリスニングは大切ではあるが、大量の英語のシャワーを浴びればいつの間にか聞き分けができるようになるというわけにはいかない。積極的かつ意識的なトレーニングが必要であろう。
意識的なトレーニングとして、『DVD&CDでマスター 英語の発音が正しいなる本(ナツメ社)』などの本が無駄なく学習しやすい。聞くだけではなく、実際に自分で発音のトレーニングを行うことが大切になってくる。この本の中のLとRの対立を覗いて、練習してみよう。
L R
1 lace race
2 lice rice
3 light right
4 load road
5 collect correct
6 fly fry
7 glass grass
8 play pray
この流れの中に、前出のled / red、blue/ brew、Bruce / blues、flea / freeなども付け加えておこう。
高校教科書から(デビット・ヒュームとリチャード・ドーキンス)
高校教科書crown3に、リチャード・ドーキンスが超常現象や奇跡を論破するという「ムー」愛読者あるいはフォックス・モルダーの活躍を楽しみにしている者たちを敵に回すような内容の英文が掲載されている。ドーキンスは、そこにデビット・ヒュームを引用するが、この英文が分かりにくいと評判だったので、簡単な日本語訳を付けながらここで眺めてみよう。
No testimony is sufficient to establish a miracle, unless the testimony be of such a kind that its falsehood would be more miraculous than the fact which it tries to establish.
証言が確証しようとしているその事実よりも、証言の虚偽性の方がより一層奇跡に近いというような種類の証言でない限り、いかなる証言もある奇跡を確証する証言としては十分ではない。
次に、教科書では、この引用文をドーキンスが卑近な例を用いて解説する。
Let’s put Hume’s point into other words. If John tells you a miracle happened, you should believe it only if it would be even more miraculous for John to tell a lie ( or make a mistake).
ヒュームの論点を言い換えてみよう。「奇跡が起きたよ」とジョンが言うとき、ジョンが嘘を言う方が一層奇跡に近いような場合にのみ、それは信じるに値するはずである。
For example, you might say, “I would trust John with my life, he never tells a lie, it would be a miracle if John ever told a lie”. That’s all well and good, but Hume would say something like this:
たとえば、こんな声が聞こえてきそうである。「僕は絶対にジョンを信じるよ。あいつは嘘なんてつかないよ。嘘だったら、それこそ奇跡だね」。それはそれで結構ですが、ヒュームならこう言うでしょう。
“However unlikely it might be that John could tell a lie, is it really more unlikely than the miracle that John claims to have seen?”
「ジョンが嘘をつくことがどれだけありえないことであったとしても、それはジョンが見たと言い張る奇跡よりも一層ありえないことなのだろうか」。
Suppose John claimed to have watched a cow jump over the moon. No matter how honest John might be, the idea of his telling a lie would be less miraculous than a cow really jumping over the moon. So you should prefer the explanation that John was lying (or mistaken).
「牛が月を飛び越えるのを見た」とジョンが言い張る場合を考えてみよう。ジョンがどれほど正直な人であっても、嘘をついていると考えた方が「牛が月を飛び越えること」よりありえるのではないだろうか。したがって、ジョンが嘘をついている、あるいは間違っているという説明の方を取るであろう。
参考までに引用されているヒュームの文章の前後を読んでみよう。以下は、教科書には載っていない。
The plain consequence is (and it is a general maxim worthy of our attention), ‘That no testimony is sufficient to establish a miracle, unless the testimony be of such a kind, that its falsehood would be more miraculous, than the fact, which it endeavours to establish….’ When anyone tells me, that he saw a dead man restored to life, I immediately consider with myself, whether it be more probable, that this person should either deceive or be deceived, or that the fact, which he relates, should really have happened. I weigh the one miracle against the other; and according to the superiority, which I discover, I pronounce my decision, and always reject the greater miracle. If the falsehood of his testimony would be more miraculous, than the event which he relates; then, and not till then, can he pretend to command my belief or opinion.
英単語と思い込み(pet)
私たちの頭の中のほとんどは隙間がないくらいびっしり思い込みで満たされており、その度合いは開け放した窓から小鳥が入って来て一曲歌って帰って行くことを許さないくらいであり、さらにほとんど窓を閉め切っていることも多い。今日もこのまま昨日のように何も変化は望まない安全安心の安定思考。
しかし、これは淀んだ空気の中の光のささない黒いカーテンの白い部屋の生活に似ている。窓を開けて、新鮮な空気が必要な時もある。
80年代に何を思ったかレッドツェッペリンのロバート・プラントが The Honey Drippersなるユニットを結成した。参加ミュージシャンには、ジミー・ペイジをはじめジェフ・ベックもいる。
このアルバムは、ビーチでモヒートを飲みながら聞くか、古めのオープンカーで海岸沿いをぶっ飛ばしながら聴くと良い。または、その逆に電車の中で聞いても、そんな気分にさせてくれる、いわゆる「ご機嫌な」アルバムである。
問題は、6曲しか入っていなことであり、しかもアルバムジャケットの下にvolume 1と書いてあるのに、30年経った今もvolume 2が出ていない。もう少し待とう。
このアルバムの中にカヴァー曲ではあるが、Sea of loveという曲が入っている。歌詞は短いので以下引用。
Do you remember when we met?
That’s the day I knew you were my pet.
I wanna tell you how much I love you.
Come with me, my love, to the sea
The sea of love.
ここでpetという英単語が登場する。英単語の意味は脈絡なしでは分からないことが多い。単語カードの表と裏での英語/日本語の対応をいくら覚えても、まとまった内容のものを読まない限り英語は読めるようにはならない、とよく言われている。
特に簡単そうな単語は、学習の初期段階で記憶することが多いので、そのまま凍りついたように頭の中に保存されている場合がある。カタカタで日本語になっている場合には尚更である。pet=ペットという記憶は揺るがないように思える。これでは、せっかくの名曲が、犬とか猫の話になってしまう。ここでのpetは、dearの意味で「愛しい人」くらいの感じであろう。
Aは、さかさま?
たとえば、Aという文字を見て、「さかさまですね!」という人はいないであろう。いかにもAは、これが落ち着いた形であり普通に見える。
さて、実際、この文字を上下さかさまに書いてみよう。2本のツノをもった雄牛がこちらを向いている。かつてこの文字は、フェニキア文字で、「雄牛」を表していたのである。この形がオリジナルであり、私たちのAは、さかさまにされた形である。
Rは、どうであろう?やはり、これも普通に見える。しかしながら、この文字を左右逆転させるとロシア語で「私」を表す文字になり、こちらが普通に見える人もいる。
「コーヒー」をKaffeeと記してある喫茶店で、ある学生たちが話している。「コーヒーってスペルはcではじまるよね。しかも「紅茶」は、Teeじゃなくteaだよ。この店、間違いすぎ!」ドイツ語がこの世に存在していることは、この人たちの頭には存在しない。
「心理学」を「プスィコロジ」と発音したら、ちょっと英語が得意だと思っている人に、勝ち誇ったように笑われるかもしれない。英語ではなくフランス語での脈絡においての議論であることを伝え忘れた場合に。フランス語では、この単語の語頭のpを発音する。
私たちの「普通」は「今、ここ」を基軸として動いている。その人の普通は、その人の日常生活に依存し、その人の今までの経験がこれを補強し、その人に一般法則を導かせる。
この一般法則にしがみつきながら、世の中を眺め、ときにその法則に変更を加えるべく軌道修正を行う。その結果、出来上がったものが、人それぞれの「普通」であろう。「そんなの常識だよ!」とか「普通は、そんなことしないよ!」という言葉を私たちはよく耳にする。
したがって、人だけではなく、時代や文化を越えての「普通」の一般法則は存在しないということになる。止まっているように思える地球も、実際には動いているということを私たちはしばしば忘れてしまうものである。私たちとは違う時代があり、違う文化がある。
ジョージ・スタイナーは、「人間の言語は、その一つ一つが独自のやり方で、世界を異なった形に写しとる装置のようなものである」と言う。
ユリウス・カエサルは、「人は自分の見たいと欲するものだけを見る」と言う。
私たちが「普通」だと思い込んでいるものは一体いつからその「普通」になったのか時に考えてみることも必要かもしれない。
英単語構成法 第3回(連結母音oとi)その1
英単語構成法 第3回 (連結母音oとi ) その1
新しい概念を表す英単語を作り出す際に必要となる構成要素は、普通はラテン語やギリシャ語の語幹であり、その部品同士を結びつける要素をここでは連結母音と呼ぶことにする。
今回は、ギリシャ語系連結母音 -o- に絞って眺めてみよう。
連結母音 -o-
例えば「動物学」という英単語を作るために「<動物>+<学>」という足し算の作業が必要となるが、その際の接着剤の役割を担う部品が連結母音であると考えておこう。実際に、ギリシャ語構成要素を用いて連結母音-o-を眺めてみよう。
「<動物> +<学>」= 動物学
「 – o – 」= zoology
◎ギリシャ語系連結母音-o-
1) –logy(~学)
zoology < zo-o-logy
動物学
biology < bi-o-logy
生物学
geology < ge-o-logy
地質学
psychology < psych-o-logy
心理学
chronology < chron-o-logy
年代学;年表
neurology < neur-o-logy
神経学
2) –crasy (~政治;制)
democracy < dem-o-cracy
民主政治
aristocracy < arist-o-cracy
貴族政治
autocracy < aut-o-cracy
専制政治
plutocracy < plut-o-cracy
金権政治
3) –graphy (~書くこと)
biography < bi-o-graphy
伝記
geography < ge-o-graphy
地理学
demography < dem-o-graphy
人口統計学
4) –nomy (~法;法則)
economy < ec-o-nomy
経済
astronomy < astr-o-nomy
天文学
5) –therapy (~治療)
psychotherapy < psych-o-therapy
精神分析
○ ギリシア語・ラテン語の語根以外の単語でも連結母音 -o- を介して接合されることがある。
例)
Jazzophile(ジャズ大好き)
Russo-Japanese(日露)
speedometer(速度計)