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    書く行為と心の静まり

    2016.06.16

    書く行為と心の静まり


     先日、文字美術家の遠山由美さんと雑談中に、「書く行為による自浄作用」という言葉がひょっこり現れ出てきた。遠山さんは、代官山ヒルサイドライブラリーでドゥブサル写本室を主宰、また講師として大学の教養課程などで書く行為の実践を呼びかける活動もおこなっている。

     

     

    「書く行為による自浄作用」とは一体何であるのか?今回は、古代インド世界にその答えの一部を探しに行ってみよう。

     

     

    以下、上村勝彦『バガヴァッド・ギーダーの世界』から一部引用あり。

     

     

    最高神クリシュナはアルジュナに語る。

    「すべての感覚を制御して、専心し、私に専念して座すべきである。感覚を制御した人の智慧は確立するから。」

     

     

    上村勝彦によれば、「専心し」は、サンスクリット語の「ユクタ」で「結びつけられた」の意味。「ヨーガ」の語源と同じ「ユジュ」からの派生。

     

     

    愛憎を離れ、自己の感覚器官および思考器官を制御すれば、その人は平安に達する、ということらしい。

     

     

    書道や茶道、また空手道や剣道などの日本古来の「〜道」には型があり、その道の習得にはその型の模倣を行う。感覚および思考器官の制御を行い、心を行為そのものに結びつけ、専心する。このような行為が心の静まり、自浄作用と関係するのだろうか。

     

     

    バガヴァット・ギーダーには、続いて次のような言葉がある。

    「万物の夜において、自己を制する聖者は目覚める。万物が目覚める時、それは見つつある聖者の夜である。」

     

     

    謎のような言葉。私たち凡人は、感覚器官によって物事を知覚し思考する。しかし全ての感覚器官を遮断することで、真の意味で目が見えるようになる。一方、感覚器官を通じて物事を知覚した場合には目が見えなくなる、それは夜であるという意味であろうか?

     

     

    古代インド世界には、21世紀の私たちを惹きつける何かがいまだ眠っている。そこに古さは微塵も感じない。人類の進歩はテクノロジーの進歩に過ぎず、人間性の進歩というものはないように思える。

     

     

    「人間性に進歩はない」と表現するといかにもネガティヴに見えるが、紀元前に書かれた詩や物語などを21世紀の私たちが今読んでも面白く感動できるということ事態が素晴らしいことであり、歴史を通して全体としての人間性は、ほぼ一定であることを示している。

     

     

    書く行為には大きく分けて二種類ある。筆写と創造的行為である。

     

     

    筆写は、自分の妄念を消し去り、感覚器官を遮断してひたすら書く行為に専念する。このことによって心の静まり、ある種の自浄作用が生まれる。

     

     

    創造的行為は、自分の考えや思いを言葉という入れ物に入れて表現する行為である。このことにより、つかめぬ雲のような自分の思いに一定の道筋を与え、目に見える思考過程が紋様のように生まれる。これにより心の静まりが生まれる。

     

     

    何れにせよ、書く行為と私たちの心の関係をもう少し探ってみても面白いかもしれない。