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言葉のプラシーボ効果
2015.11.26
最近では、サプリメントなどで積極的な摂取が推奨されている亜鉛も少し前まで誤解の対象にされていたことがある。
亜鉛という物質は、鉛とは何の関係もないが、鉛という文字から受ける印象によって、何とはなしに体に害があるのではと思う人がいる。鉛=害。文字としての「鉛」も体には入れたくないという心理が意識下で働く。名称による風評被害が全く見えないところで発生する。
その逆に、私たちにはよく分からない「お経」だとか「祈りの言葉」といった「ありがたいお言葉」などは、物質的なものは存在しないにも関わらず人々に大きな影響を与えることがある。また、「酷い言葉」は、ナイフのように人を抉る。
プラシーボ効果の存在が、明確になりだしたのは、新薬の臨床試験の時だったそうである。患者のグループの半分には新薬を与え、もう半分には、プラシーボ(偽薬)を与える。新薬を与えた患者だけが病気の治療に成功するという見通しの実験であったが、結果は医者たちを当惑させるものだった。プラシーボを与えたグループも同様に病気が治ってしまったのである!
日本語のプラシーボという言葉は、英語のplaceboの音をそのままカタカナにしたものだが、語源はラテン語に行き着く。
現在形一人称単数形であるplaceo 「私は喜ばせる」を、未来形にするとplacebo「私は喜ばせるだろう」という形ができる。これが、私たちの知っている「プラシーボ」の語源である。ラテン語の発音は「プラケーボー」。
私たちの何らかの思い(思い込み)が、目から入るにせよ、耳から入るにせよ、口から入るにせよ、それはplaceboとなって、私たちの心や身体に侵入し、私たちの一部になって、私たちを「喜ばせてくれる」ことになる。
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