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Aは、さかさま?
たとえば、Aという文字を見て、「さかさまですね!」という人はいないであろう。いかにもAは、これが落ち着いた形であり普通に見える。
さて、実際、この文字を上下さかさまに書いてみよう。2本のツノをもった雄牛がこちらを向いている。かつてこの文字は、フェニキア文字で、「雄牛」を表していたのである。この形がオリジナルであり、私たちのAは、さかさまにされた形である。
Rは、どうであろう?やはり、これも普通に見える。しかしながら、この文字を左右逆転させるとロシア語で「私」を表す文字になり、こちらが普通に見える人もいる。
「コーヒー」をKaffeeと記してある喫茶店で、ある学生たちが話している。「コーヒーってスペルはcではじまるよね。しかも「紅茶」は、Teeじゃなくteaだよ。この店、間違いすぎ!」ドイツ語がこの世に存在していることは、この人たちの頭には存在しない。
「心理学」を「プスィコロジ」と発音したら、ちょっと英語が得意だと思っている人に、勝ち誇ったように笑われるかもしれない。英語ではなくフランス語での脈絡においての議論であることを伝え忘れた場合に。フランス語では、この単語の語頭のpを発音する。
私たちの「普通」は「今、ここ」を基軸として動いている。その人の普通は、その人の日常生活に依存し、その人の今までの経験がこれを補強し、その人に一般法則を導かせる。
この一般法則にしがみつきながら、世の中を眺め、ときにその法則に変更を加えるべく軌道修正を行う。その結果、出来上がったものが、人それぞれの「普通」であろう。「そんなの常識だよ!」とか「普通は、そんなことしないよ!」という言葉を私たちはよく耳にする。
したがって、人だけではなく、時代や文化を越えての「普通」の一般法則は存在しないということになる。止まっているように思える地球も、実際には動いているということを私たちはしばしば忘れてしまうものである。私たちとは違う時代があり、違う文化がある。
ジョージ・スタイナーは、「人間の言語は、その一つ一つが独自のやり方で、世界を異なった形に写しとる装置のようなものである」と言う。
ユリウス・カエサルは、「人は自分の見たいと欲するものだけを見る」と言う。
私たちが「普通」だと思い込んでいるものは一体いつからその「普通」になったのか時に考えてみることも必要かもしれない。
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