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楽譜と書き言葉
ジミ・ヘンドリックスをマイルス・デイヴィスがセッションに誘ったとき、マイルスの音楽仲間は、「何で、あんな楽譜も読めない奴を呼ぶんだ?」と言った。
それに対してマイルスは、こう言った、「でも、あいつは音を知っている。」
いわゆる楽譜は、後の所産である。音楽はまず音があり、それさえあればそれで良い。音は掴めないし、昔は録音もできなかったから、忘れないようにその音を記したのが楽譜の始まりであり、ここに偉そうなところは少しもない。
ところが秘密めいた謎の暗号を読み解けるとそこに優越感が生まれるらしく、それを読めない人を見下すようになることがある。
現存する世界最古の言語である古代メソポタミアのシュメール語の時代も、それが読み書きできる書記官が幅を利かせた。民衆は言葉は話せるが読み書きができない。
しかしながら、「言葉」や「音」を記号化して物体に記し、それをいつでも取り出して読めるようにすると同時に私たちの記憶力も減少する。「楽譜や書き言葉」は、記憶の外注みたいなものと言えなくはない。または記憶のUSBメモリ。
古代ギリシャの最も有名な叙事詩「イーリアス」や「オデュッセイア」は盲目の詩人ホメロスによってなされたと言われている。彼はこの詩を全て暗記していた。
古代の日本で活躍した琵琶法師たちもほとんどが盲目であったと伝えられている。彼らは琵琶を演奏しながら暗記した物語などを語った。
古事記の編纂者の1人であった稗田阿礼は、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めておくことができた、と伝えられる。
私たち人類は、どんどん進化していると人は言う。しかしながら、この進化は私たちの外側のものであり、具体的にはテクノロジーが進化しているのであって、私たちではない。
テクノロジーの進化は人々の生活の便利さをもたらし、同時にそれは私たち自身の努力の削減を意味する。私たちにとって大切なものを私たちの外側に置くことによって私たちの頭は空っぽでも大丈夫ということになる。
テクノロジーの進化に反比例して私たちの記憶力は鈍り、クリエイティブな心はしぼみ、自分で何かを始めるという大胆さは消え、誰もがコンパクトな無難な存在になる、スマホをみつめながら。
さて、私たち人間の方は進化しているのだろうか?古代の音楽は聞くことができないが、古代メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』などの最古の詩を読むことはできる。
紀元前3000年の古代の人間の作品を読んでみて分かるのは、今でもじゅうぶんに楽しめるということである。同じく紀元前の旧約聖書や紀元後の新約聖書なども今も人々の心の拠り所になっている例も多い。
古代の人間の描いた人間の心を現代の私たちが読み感動を覚えるということは私たちの心は昔とそれほど変わっていないことを意味するのではないだろうか?
人間自体の心はそのままで、それを取り巻く外側ばかりが進歩すれば、当然そこに人間と環境のギャップが生じて、人の心の中に不自然な不安定感が生まれるのは当然であろう。なぜなら人間は動物であり、この本性は変えられないからである。
テクノロジーはさらに進化する。2021年現在、AIだけではなくアンドロイドも存在するし、空飛ぶバイクも存在する。また人間の脳や目に何やらチップを埋め込んだ新型iPhoneが登場するのもそれほど先ではないかもしれない。
そういうわけで私たちの心を本当に癒すのは昔からある自然なものになりそうである。
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